start again

ずいぶんと更新が空いてしまった。

最後の投稿から早2ヶ月。

コロンビアで動かない左足先を抱えての走行を再開した僕は2週間1200kmを走り首都のボゴタへ到着した。

帰国前日にはタクシーに跳ね飛ばされ。怪我を抱えたままの帰国となった。

まさに踏んだり蹴ったりという言葉にふさわしい旅となった。

 

帰国後のトークライブのたびに聞かれる質問がある。

「こんなに大変な旅だったのですが、それでも前向きに走り続けたその原動力はなんだったんですか?」

 

正直、今回の旅はこれまで「今回の旅にはこういう意味があったと思うんです!」とはっきり言葉にできるような、

そんなものはまだ浮かんでこない。帰国して3週間が経とうとする、いまになってもだ。

しかし、トークライブのなかで言葉として表現するなかで浮かんできたことを、ここに書くとすればこういうことだ。

 

【どんなことが起ころうとも、心を閉ざしてしまわなければ、またそこからはじめられる】

 

今回のコスタリカでの転倒と怪我、全財産およびカメラなど貴重品の盗難、病気、そして足の麻痺は

それぞれから立ち直り切る前、まだ怪我で例えるとかさぶたができかけたときに次の怪我をしてしまったような

感覚だった。どうして・・・。またか・・・。これは試されているのか・・・?

 

自分のなかでたくさんの言葉が浮かんできた。けれどもその度に自分に言い聞かせていたことは

【心を閉ざしてしまってはいけない】

ということだった。どんな目に遭っても、世界には等しく美しいものが、美しく生きる人がいる。

それを受け入れる心のスペースさえも、無くしてしまえば、もう世界からその元気を受け取ることができなく

なってしまう。逆にそのスペースさえ残しておけば、また世界から、人から元気をもらうことができる。

 

どうして前向きなのか。どうしてそれでも立ち上がるのか。

僕にはよくわからない。けれども世界の美しいもの、美しく生きる人は僕がどんな悪い目に遭ったとしても

世界に等しく存在しているのだ。それは僕だけじゃない誰にも平等なことだと思う。

 

そんなことが今の自分の手のひらに残っている。

待ってくれていた教え子たち、帰国して新たに出会った人たち。そしてこれから出会う人たち。

そんな人たちに僕が残せるものはあるだろうか。お届けできることはあるだろうか。

ぼくの生き方は実験だ。仲間たちのように極限に挑むものではないけれど、それでも

僕の生き方が他の人にとってひとつの選択肢になることができれば。