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【人間らしさってなんだろう】

 

キューバの旅。世界遺産など、外国人が訪れる町も数えるくらいしかないので観光地を訪れると同じ宿に日本の人がいることが多い。ネットの一般的でないこの国では「情報ノート」と呼ばれるものが旅人の情報源としてまだ残っている。

それには、オススメの宿や食堂、他の町への安い移動の仕方、現地の人とのやりとりの手引きなど実際に旅した人たちが書き残した情報が詰まっていて、その情報を参考にして旅をしている人が多い。

 

僕がオフで滞在しているこのトリニダーもそうだ。世界を旅し帰ったら開業するとアツく話す美容師、メキシコの現地採用で働く通訳の女の子、日本から夏休みで来た会社員さん。3日間の滞在でまたいろんな人に出会えた。僕らが泊まっているカサ(民泊)の家にはもちろんネットなんてものはなく、昼間それぞれが観光など時間を過ごし、宿に戻ってくる。夕食を宿で作ってもらい(ロブスター!ロブスター!あんなデカイの日本じゃ食べれない!)、食後のコーヒーを飲んだあとは、もうすることはない。お酒や音楽が好きな人は町に繰り出していくくらいだろうか。

 

昨日も一昨日も夕方や食後の寝るまでの間、ベランダや屋上に同じ宿の仲間と出て、通りを眺めながら、あーだこーだと話をする。飽きることなく通りの人の行き来を眺めながら、あのおっちゃん見てー!とかあそこにも犬がおるわ!とか、あ!あのおばちゃんのアボガド1個売れた!なんてなんでもないような時間を過ごすのだが、これがほんとにおもしろい。キューバ人がほんと日がなベランダから外を眺めているのが同じことをすると納得できる。

なんだか心にちょうどよいあたたかさの何か懐かしい感じのするものが、注がれているような気持ちになるのだ。それは僕だけじゃなくて、昨日も同じ宿のなりちゃんが「これが人の本来あるべき姿なんですかねー」なんて通りを見ながらつぶやいていた。

 

その人間らしさを感じる通りについて考えた。どう例えたらいいか。

 

「生活が、家の外に、はみ出している。」

 

と言えると思った。玄関は開けっ放し。窓も開けっ放し。通りを歩くだけでふと見ると、そこには四角くてぶっといテレビがあって、ゆらゆら揺れるロッキングチェアに座って夫婦がテレビを見ていたり、ちっさい子がじいちゃんに抱かれながら何か話をしていたり、誰かが居眠りをしていたりする。窓の柵からは犬までもが首を出して、外を眺めている。

 

宿のベランダから外を見ていても、家の前に椅子をちょこっと出して庭で採れた果物を売っている人がいたり、ベランダから通りを歩く知り合いに挨拶していたり、酔っ払いのおっちゃんが奥さんに怒られていて、ふとそのおばちゃんが僕を見つけて「あんた!このどうしようもないウチの人を写真に撮っといて!ハハハー!」なんて展開になったりする。

 

そうなので、普通は家の中で完結しているであろう(日本の感覚ならそう)生活が家の外まではみ出しているのだ。だからなんだか見ているだけで懐かしいような、嬉しいような、人間らしさを充電させてもらっているような気持ちになる。

 

 

この国もどんどん現代が入って来ていて、もう変わってしまう、いやもう変わってしまった。と旅した人が口を揃えて言う。変わりゆく町、変わりゆく暮らし、けれどもそこに確かにあるもの。そんなものを昨日の夜、夕立ちで停電した真っ暗な通りを眺めながら思っていた。