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改修のため、中に入れない教会の扉から中を覗いていたらとなりにおばさんがいた。
「ブエノスタルデス(こんにちは)」
と挨拶をすると、おばさんはニッコリとして僕に話しかけ始めた。

僕が日本人であるということ。自転車で旅をしているということ。
それだけ伝えられたあとは、おばさんが言うことを少しでも掴みたいと言葉を繰り返したり、
相槌を打ったりしながら耳を傾ける。
おばちゃんが言ってることは、ほとんど分からない。
けどおばちゃんは穏やかに話し、その声から気持ちが入っているのが伝わってきた。
すまぬおばちゃん、もうちょっとスペイン語分かればよかったのにね・・・。

おばちゃんがカバンから小さなかぼちゃの種の包みを出して僕にくれた。
「私はね、これを売ってごはんを食べているのよ。この町にだって、物乞いをして、こんな時間には
ただ木陰で寝ているような人もいる。けど私はひとつ5ペソのこのかぼちゃのタネを売っているの。」

この言葉だけは、心にそのまま入ってきた。
慌てて財布を出した僕に
「いいのよ。あなたにこの教会の前で出会ったのもきっとご縁だわ。」
とおばちゃんは優しく語りかけてくれた。ありがとう。大切に食べます。

おばちゃんの写真を撮らせて欲しい、と伝えた。
おばちゃんは一瞬はにかんで「BIEN(いいわよ)」と答えて、こちらを見つめた。


僕ひとりがこの町にいるだけで、ほとんどの人が僕を見つめる。
見てない風にして見ている人、隣になにかを囁く人、こうして声をかけてくれる人。

僕は何者でもないかもしれない。
けど、何者でもない僕と繋がってくれる人がいる。
八百屋のおっちゃんは、最初警戒してたけど僕が日本人だと知り、日本でマンゴーはいくらだと
質問し、びっくりしていた。
夜ごはんを買いに行った、ローストチキンの店の兄ちゃんはお釣りを渡す時に、すっと売り物の
ジュースを僕にプレゼントしてくれた。

僕は誰かとつながらない限り、何者でもない。
ガイドブックにも載っていないこの町の人は、僕にとっては何者でもなかった。
けど、こうしてつながることで物語が生まれる。
すでにこの町は、僕にとって「あの人」のいる町なのだ。


旅になにを求めるか。旅でなにを探すのか。
自分がそのことを表現しながら、いつの間にか忘れてしまっていたのかもしれない。

僕は旅で誰かとつながり、僕がそのつながりを誰かに伝える。
例え大きな歯車でなくても。僕はこうして世界を紡いでいくことができる。
それは、すでに目の前にあるのだ。


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コメント: 2
  • #1

    tomato (火曜日, 11 7月 2017 10:34)

    あなたの目と心を徹した何でもない普通のけの景色、心情が好きです。前を向いて行くしかない事の大きさをつくづく感じます。よい旅をありがとう。

  • #2

    MASA (水曜日, 12 7月 2017 13:24)

    tomatoさんコメントありとうございます。本当にこうした人、景色との出会いから教えていただくことばかりです。これからもしっかり旅を続けていきます。