Comedor



おばちゃん「そこのパティオはどう?どこでも好きなところで寝なさい!
ぼく「ほんとー!ムーチョグラシアス!」
考える風でもなく、笑顔でニッコリこう言ってくれた食堂のおばちゃんとの物語。

メキシコに入ってから、町にたどり着けそうなときは宿を取ることが多い。
前回の強盗のこともあり、また学校はじめ多くの方々と関わっているので、
テント泊についてはかなり慎重になるようになった。
これまで11年間がラッキーだったのか、それともぼくは、そういう場所に旅に
来ているということなのだろうか。
こればっかりは治安ももちろん、自分が十分に気をつけてテント泊をすることは
もちろん、何が必ず正しいということはない。起きるときは起きるのだ。

オアハカを出発した日。MITLAという遺跡を見学したあと山道に入った。
地図を見るもここから先はもうしばらく町らしい町はない。
今日は、キャンプになりそうだな。

体がしっかり濡れるだけの雨が落ちたあと、また晴れ間が見えた。
90kmほど走ってたどり着いた小さな村には、それに似合った大きさの売店があった。
そこでフルーツだけ買い足して、宿はないのを確認してまた国道に戻る。
そうしてしばらく走ったところにあったのが、このおばちゃんの食堂RUTHだ。

ここを走る車を相手にしているのだろう、賑わうというふうではないが
トラック運転手や乗用車が止まっては食事をしていく。僕もテント泊になるだろうし
食事だけでもしていこうと立ち寄って、自分の野菜がゴロッと入ったチキンスープを
食べながらお客さんが来るのを眺めていた。

食事を終えて、ひととおり片言のスペイン語で自己紹介や旅の話を終えて
おばちゃんに聞いてみた。
「どっかにテント泊できるいいところないですか?」

それを聞いたおばちゃんがすぐに周りを見渡してこう言ってくれたのだ。
ほんま感激というか何というか。お世話になります!
食堂のRUTHは肝っ玉かあちゃんのようなおばちゃんの名前だった。

それからはパンク修理をしたり、毛むくじゃらの犬チョビと遊んだり、
オアハカで買ったコーヒーをRUTHさんに淹れてあげたり。
夜になると家族が集まってきてみんなにも挨拶をして夕食の時間になった。
お父ちゃんは僕が折った鶴の折り紙へのお返しだと500gくらいありそうな
ネジやベアリングを溶接して作ったバイクの置物をプレゼントしてくれた。
(どうやって日本まで届けようか・・・)


どうやらこの食堂は24時間体制のようだ。
食事を終えたRUTHさんたちが帰って、それから夜シフトのお姉さんがやってきた。
夜中の12時になっていても、テントで横になりながら人の話し声が聞こえていたもんな。
いつの間にか寝入っていた。

翌朝また元気にやってきたRUTHさんにお礼とお別れを伝える。
昨日の夕方から夜も、朝もここで働く女性はみんなとっても働き者で誰に見られる
わけでなくしっかり掃除を欠かしていなかった。
人が来るたびに「この子は日本から来た友達なの。名前はマシータよ。」
とニッコリ紹介してくれたRUTHさん。

また、顔のつながる土地が増えた。ありがとうRUTHさん。家族の皆さん。